水星の魔女は学びある
ガンダムが好きです。
大体どのシリーズも楽しく見ており、今回の水星の魔女も毎週ワクワクハラハラしながら楽しませてもらっています。
ガンダムはシリーズものであり、特にテレビシリーズはその時代時代に合わせた売り出し方、作り方をしているため、それぞれの作品を参照・比較しながら作品ごとの特徴を楽しむことができます。
・今回のエーテル的便利粒子はなんだろう?
・とても気になるニュータイプ的なギミックは?
・仮面の人の動向!
などなど、お約束的な展開も含めて別のシリーズ作品と見比べてみつつ作り手の意図や背景に思いを馳せたりしながら。
特に「ガンダム」の脱構築を作品単位で行ってきたいわゆるアナザーガンダム以降、こうした楽しみ方はガノタ的な作法になっているのではないでしょうか。
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さて、現在放送中の水星の魔女ですが、シリーズの新たなファン層として若い世代を見据えたものにする、と制作側から明言されている通り、作り方、売り出し方にもさまざまな工夫がされているようです。
2015年の「鉄血のオルフェンズ」も若年層を開拓するという制作テーマがあったようですが、水星の魔女はより大胆なアプローチに舵をきっている印象です。
「鉄血」も「水星の魔女」も同じシリーズながら(今のところ)作風のコントラストが大きく、これだけの規模のシリーズでありながらすごく意欲的な作り方をしていることに驚きます。それだけ、ガンダムシリーズがガンダムシリーズたりうる根拠、土台ががこれまでの長い歴史の中で作り手/視聴者の間で培われ、だからこそ可能な振り幅なのかもしれません。
現在水星の魔女の公式ウェブで見られるキービジュアルですが、ガンダムっぽくなさがいっぱいです。
一瞬ぱっと見てビジュアルの中にガンダム(エアリアル)がいることが分からないと思います。ガンダムを知っている人なら0.75秒くらいで気づくかもしれません。
人物とガンダムのシルエットが重なっていたり、また背景とのコントラストが強くないため、そこにガンダムがいることが分かりづらくなっています。しかも逆立ちで。
一応グラフィックデザイナーなので技術的・理論的な面からも明らかに意図して分かりづらくしているということは分かるのですが、それにしてもかなり大胆な見せ方をしているな、と思いました。
私はガンダムが好きです。大好きです。
その上での客観的事実としてガンダムは造形的に拭いきれない「ダサさ」を内在しています。その「ダサさ」は訓練されると気にならなくなる上、奇妙なことに「カッコよさ」とも高いレベルで両立してしまうため厄介とも言えます。
ガンダムの造形はガンダムに馴染みがある(リテラシーといってもいい)人と、そうでない人との見え方に大きな差があるようで、それはオッサンになるこれまでの人生の中で色々と思い知ることがありました。
それ以前に「巨大ロボットもの」自体を敬遠する人も少なくなく、作品のビジュアルの中に巨大ロボのヒロイックなシルエットが見えただけで「自分に向けられた作品ではないかも」と思われると損です。
一見ガンダムがガンダムとして分かりづらく、またエアリアルが柔和な姿勢で宙返りしているという「巨大ロボットもの」らしくないビジュアルは、シリーズに触れたことのない人に向けては参入障壁を下げつつ、シリーズを知る人に対しては「特異な駆動、機動性を備えた新しいガンダム」という印象づけにもなるのではないでしょうか。
またタイトル自体がめちゃくちゃいいなと思いました。
「水星」「魔女」という、ミステリアスでどちらかというとフェミニンなカルチャーのがわにある言葉だと思います。
私はガンダムが好きで大好きです。ただ客観的事実として「機動戦士ガンダム」という字面、および音の響きはなかなかなダサさを帯びていることは疑いようがありません。
これまでの人生で「ガンダム」という単語を1億回くらいは発音したような気がしますが、ちょっとなかなか完全アウェーな場で口にするのはどこか気恥ずかしさが伴います。その点ひと息で言えてしまう「エヴァ(エバ)」は気が楽です。
もちろん過去のシリーズも作品の呼び名は「鉄血」「Gレコ」「ダブルオー」「サンダーボルト」といった副題で流通するのが通例ですが「水星の魔女」という音の響き、字面から受ける印象はそれまでのシリーズにはないものがあります。
この点でも新規のファンが参入しやすくなっているのかな、とも思いました。
直近のもので「ユニコーン」も響きとしては水星の魔女的な畑にあるものの、ユニコーン単体だと作品名であることの同定力は弱く、シリーズの外に出して作品名を呼称する場合だと「ガンダムユニコーン」とガンダムを伴いそうです。
ロゴもとても素敵ですね。明朝体ともローマン体ともつかない不思議なディティールと、「女」のクセのあるアール処理など、一筋縄ではいかない物語を思わせます。
次の話からまた大きく話が進みそうで、とても楽しみにしています。
シン・ウルトラマン感想/作りものぽさを上書く作りもの
※内容のネタバレあり
MIPメフィラス
初代ウルトラ怪獣の中で例の宇宙恐竜とは別の意味で特異な存在感を残したトリックスター、メフィラス星人。
その立ち回りはおおよそ原典をなぞるも、今回初登場時は人間の姿にて接触を図ってくる。
まず巨大怪獣があらわれ、次の脅威はウルトラマンへの擬態、そしてその次は人間体として。
この流れ、どこかで既視感が……?
しかし一方で
翻って人類側サイドはというと、それはそれで人外っぽい、というか「実際現実にこんな喋り方/会話のやりとりをするやつおらんやろ」な人ばかりで、もしかしたら映画全体の台本のセリフを抜き出してみたら、「あれ以外とメフィラスが一番現実(リアル)っぽいセリフを喋ってるかも」という逆転現象が起こるかも?とも思った。
この人間同士のなんだか「アニメ作品中のセリフの豪速球会話キャッチボール」を実写映像で俳優さんが繰り広げる感じは結構人によっては無理かもしれない。
緊迫した場面の演出としてセリフに滑舌が追いついていない、とかいうものでもなく。
日常会話を無駄に早く無駄に長いセリフで真顔のまま目も合わせず応酬しあう場面(うすら寒いジョークを交えながら)など、なかなかむずがゆいものがあった。
私は人並み以上には免疫がある方だと思うが、それでもこの「むずがゆい気恥ずかしい感じ」には上映終了までとうとう慣れなかった。
まれびとマン
そのほか
久々の外出らしい外出
桜の花が咲いたも散ったも気がつかないような生活の中にあって、久々の外泊旅行を決行。
最後に旅行をしたのが、コ禍前の新婚旅行になるので実に何年ぶりか。
そのときに「宿に滞在して過ごすだけ」の楽しさ・贅沢さに味をしめてしまい、また時勢的な意味でもあちこち行かずゆっくりするのがよかろうと、滞在したまま何かを楽しめる宿を選んだ。
以前から気になっていた『箱根本箱』。1万2千冊の蔵書が壁に部屋にあちこちの棚にそこらじゅうに散りばめられているブックホテル。
気に入った本は部屋に持ち込めるし、そのまま購入することもできる。
天井まで届く本棚に囲まれたプライベートな空間、というのはビブリオンなら誰でも夢見るものかもしれないが、それに近い体験を味わえる気がする。
一部の本棚の裏側には隠れ部屋的にミニ読書スペースが設けられていたりと、なかなかツボを押さえてくる。
さまざまなジャンルを網羅した上で1万2千冊というと、ものすごい多いかというとどうしても広く浅くにはなってしまい、特に自分の専門分野や興味のある分野のタイトルを期待するとちょっと……となってしまうかもしれない。
一方で、そうでないジャンルの棚からは何かしらのセレンディピディな出会いがあるのでは、とも感じた。
半プライベートな空間が醸す雰囲気からか、そのような書籍類も書店とは違い他人行儀な顔をしておらず、新たなジャンルに触れるハードルが低くなっていそうだなとも。
私連れ合いもインドアな過ごし方が苦痛ではなくむしろ好きなので、2泊の滞在ながらあともうちょっと……と後ろ髪を引かれつつ3日目の午後には小田急に揺られて束の間の非日常は終了。